壁があるから面白い音楽という存在

お久しぶりです。転居に伴いネット環境がしばらくありませんでしたが、ようやく開通したのでまたちょくちょく書きたいと思います。(仕事が始まったので頻度は落ちると思いますが…)。今回は今までのような方法論と趣向を変え、音楽と壁について考えたいと思います。

「音楽は国境を越える」と言おうとするとき、その場に居合わすことができなかった人や、そのような場があることさえも一生知りえない人も間違いなくいて、つまり音楽には境界や壁や差別があり、ただそれは国境という境界とは少し異質のものだということをちっとだけ考えてみても悪かぁない、音楽には壁や境界があることを認識することからその楽しさが始まるんだ
http://d.hatena.ne.jp/fujisong/20080419/1208615605

音楽に壁はある

 音楽の壁は国とか民族とかではなくてもっと別の部分にあるということですが、どこにあるのか、その楽しさとは何なのか、考えてみます。上記では聞いた人・聞いていない人で区別していますが、今回は全員音楽を聞いたという前提でどの部分に壁が存在するか考えます。
 まず壁とは「境界線であり、その両側にある考え方・捉え方が異質であること」と定義します。確かに、ちょっと考えると音楽の壁は確実に存在することが分かります。まったく同じ音楽を聞いてある人は「これはすばらしい」、別の人は「どこが良いのか意味不明」と言うことはよくあります。

価値観の壁と感性の壁

 2人が分かり合えないのは、価値観の壁と感性の壁が2人の中央に立ちはだかっているからだと思います。
 まず価値観の壁とは自分と音楽の相性であり、ファッションの志向性みたいなものです。個人個人によっても異なりますが、地域間でも、たとえばクリードなんかはアメリカでは人気ですが日本ではダメだし、MR.BIGはその逆パターンなんてことは有名です。

 次に感性の壁とは「どこまで深く聞けているか?」ということであり、一つの音からどれだけのことを湧き上がらせられるかです。こっちは深く聞ければ聞けることに越したことはありません。たとえば楽器を演奏できると一気にインスト音楽が面白くなりますが、それはひとつの音から発するメッセージの量が増えたと言うことに他なりません。ひとつの音から発するメッセージとは、たとえば「ここをこいう感じで弾いたんだな!」とか、「そんなフレーズどう弾くんだー!」とか一音一音に対する感情を引き起こさせます。ちょっと話がそれますが、ライブが楽しいのも同じ理由で説明できるでしょう。一音に対する付加情報が、ライブに行くと大きくなります。視覚、場の空気感、温度、感触、すべてのものが音楽と結びついて捉えられ、それが一音の重みとなるからです。

壁があるから面白い

 この価値観と感性の壁は、ないとつまらないでしょう。世界が全く一つの流れになってしまったらつまらない。何度聞いても、丁寧に聞いても、同じ聞こえ方しかしないのだったらつまらない。
 これって、音楽だけじゃなくて絵でも本でもスポーツでもどの世界でも言えそうな気がします。壁があるから、自分と他人が別人であり、そこには多様性が存在します。自分と違う何かが興味を刺激します。また、壁があるから、それを超えたとき成長の実感があり、攻略する楽しさがあります。
 こう考えると、音楽や色々な分野を楽しむというのは壁を味わい尽くすことだとも言えそうです。私も壁を意識して多様なミュージックライフを送りたいと思います。